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無意識的な願望に抗しきれない「冷静な」人々と、最悪の事態を熟慮して行動する「軽率な」人々



敬愛する内田樹の言い方を借りれば
「他責的なことばづかいで行政や当局者の責任を問い詰めたり、
無能力をなじったりすることは控えるべきだ」。
僕は全面的にこの内田の言葉に賛意を示したい。

ただ一つ、
できるだけ安全な地域へと避難する人々を擁護することならば、
この場で書くことも許されるだろうと思う。 

福島第一原発の相次ぐ事故で、
少しでも原発から離れたところへ移動しようとしている人たちがいる。
東京を新幹線で脱して西へと向かう母子も多いという。
僕の友人は仙台を脱して青森へ向かった。

メディアではそうした行動をとった人は、
次のように非難されている。

この震災でパニックに陥った一部の人々は、
冷静な判断力を喪失している。
報道される情報を
感情的、感覚的、表面的に受け取り、
場当たり的、衝動的、短絡的な行動に出てしまっている。
科学的な知見およびデータをもとにすれば、
そのような行動は根拠のない軽率なもので
他の人々をも不安と混乱に陥れるから、
厳に慎むべきである。

本当だろうか?

そうではないと思う。

考えに考えた末、熟慮した結果として
自分とその家族を守るために決断した人が多かったのではないか。

「今回の地震は未曾有の大災害である」

「今回の原発事故は想定外の事態である」

「すぐにも避難すべき危険な状態ではない」

「少なくとも現段階では放射線の量は人体に影響はない」

ここでは、こうしたメッセージを冷静に理性的に熟慮してみよう。

まず、「すぐにも避難すべき危険な状態ではない」という言葉は、
ごく短期的な時間スパンの安心を保障するという意味である。
裏を返せば、
〈長期的に見たとき、
今回の事故がどういう事態へと進行していくかは分からない〉
という意味でもあろう。
〈場合によっては、広範囲の人々に甚大な被害を及ぼすかもしれない〉
と言いかえてもいい。

「そんなことはない。
少なくとも現段階では、
長期的にも広範囲の人々が
危険な放射線にさらされるような事態にはならないはずだ」
と言うかもしれない。
(現に、新聞、テレビに出てくる専門家の物言いは
だいたいこのようなものだった)

だが、この
「少なくとも現段階では」
という留保が曲者である。
次の段階が来たら
あっさりと覆されてしまうわけだ。

つまり、
「すぐにも……」「現時点では……」
という物言いは、
〈今知られている情報をもとにして、
今後もこれ以上、事態が悪化しないと仮定した場合、
大急ぎで首都圏から避難なんてしなくて大丈夫です〉と
翻訳することができる。

しかしながら、
ここにはいくつもの「?」がついてしまう。

◎情報やデータは正確なのか?
(都合の悪いデータは出していないのではないか。
東電は02年に原子炉内部の損傷隠しが発覚。
07年にも予備品不足を模造品で国を欺いた過去あり)

◎これ以上事態が悪化しないと説得力をもって言えるのか?
(事態はどんどん悪化しているではないか(17日現在)。)

12日=1号機水素爆発。
14日=3号機水素爆発。
15日=2号機爆発→圧力抑制室損傷。4号機爆発→出火。
16日=4号機爆発→再出火。5号機6号機=燃料プール水温上昇

そして、毎日のように
われわれをおびえさせている余震を忘れていないだろうか。
マグニチュード8クラスの余震があったら、
そして津波がまた原発を襲ったら……
(気象庁は余震への警戒を怠るなと言っている)

◎そもそも
今回の地震は「未曾有の大災害」であり、
今回の原発事故は「想定外の大事故」ではなかったか?

以下ではこの「想定外の大事故」だと言われることについて
論理的に考えてみる。

「想定外」とは予想がつかないことが起きたということである。
(ばかばかしいほどのトートロジーである)
つまり、「専門家」という人たち
(彼らは科学的、合理的、理性的、客観的に
事態を分析、綜合できる判断力のある賢い人たちである)
であっても予想できなかった、
そういうお手上げの事態が起きてしまったのである。

さて、その「専門家」と呼ばれる人が
事故後、メディアに出てきて
「今のところ大丈夫です」
「避難するほどの危険性はありません」
と言われても、
どうも説得力がないのではないだろうか。

なぜなら
〈原発事故は想定できませんでしたが、
事故後の対処については想定できますよ。〉
というメタ・メッセージを
われわれはすでに聴いてしまっているからである。

これは、思考停止のパニックでも
軽率な短絡的判断でもない。

むしろわれわれ国民は、
一部の専門家が思っているよりずっとよく
事態の推移と専門家の言葉を「聴いて」いるのではないだろうか。

そして合理的、論理的に検討すればするほど
「これは一時的に避難した方がどうも安全そうだ」
という結論に至りつくのは必然的である。

誰も事態の悪化を望んでなどいない。
不安を煽るつもりもない。

文字通り命がけで懸命に現場で放射線を浴びながら、
作業に取り組んでいる方々には、
最大限の敬意と感謝の意を申し上げたい。
祈るような思いでわれわれは、
その困難を極める作業の行く末をテレビを通して見守っている。

だから、
本当にメディアや専門家の言うとおり、
これ以上、事態は悪化しないし、
半径30キロ以内の人々も、
それより遠くに住む人々も、
健康被害がまったくなかった……
そうなることを祈りたい。

しかし、万が一事態が悪化の一途をたどって
(「万が一」という確率が、今や空々しい響きしかしない。
「十に一」? それでも甘く見積もっているように思えてしまう)
より広範囲に退避勧告が出されたとき、
すぐには動けないお年寄りがいる。
乳幼児を抱えた母親がいる。
妊婦もいる。

その退避経路は
大混乱と大混雑が予想されるだろう。

そのとき
退避経路は確保できるのか?
土地を離れて仕事はあるのか?
退避先に子どもや老人を受け入れる施設はあるのか?

そこまで熟慮している人は、実は多いと思う。

ただ、
自主的に退避するという行動に移せる人は
その千分の一にも満たないだろう。
(もちろん僕も行動に移せない者のひとりです)

「想定」したくないことだが
最悪のシナリオを想定して今から準備をしておく、
これはむしろ行政にこそ必要なことではなかったか。
(おそらく、日本の優秀な政治家や役人のことだ。
実はもう着々と対策を指示しているのかもしれない)

素人ながら四つ提案してみたい。
※これは以下の内田樹のブログを下敷きにしている。

「疎開」のすすめ

(1)西日本の自治体は、妊婦、乳幼児(を抱える親)、重篤な病人の
受け入れ態勢を整えておく。(住居・学校・施設など)

(2)その際、たとえば、福島県の○○市の担当県は香川県です、
といった担当の県を決めて、
西日本の県が避難する特定地域に責任をもって支援体制をつくる。

(3)原発事故をおそれて避難する人を批判、非難しない。
むしろ、温かく迎え入れる。

(4)避難の混雑・混乱に備えて、今から移動経路と手段を確保する。
特に原発周辺地域の人の移動を速やかにするための策が肝要。

そもそも、
人間というものは
考えるのも恐ろしいこと、
想像すらしたくないことは回避する傾向がある。
無意識的な自我の防衛機制がはたらくわけだ。
「きっと大丈夫だよ」と。

起きてしまったら大変なこと
=起こりえないこと
=考えなくていいこと

このように等式で結ぶ思考は
非論理的ではあっても、健全なことだ。
通常なら、それでいいし
「そこまで心配していたら何もできない」
という一言にも説得力がある。
それが日常性という分厚い信念体系を形成している。

しかし、いまは非常時である。
戦後最大の危機だと誰かも言っていた。
いま、その無意識的で健全な力に抗して、
考えがたいことを考える勇気が、
とりわけ行政には求められている。

それは起きないに越したことはない。
取り越し苦労であってほしい。
あのときは大げさに考えすぎたねーーと
笑って済ませることになってほしい。
そう心から願っている。

僕は小学生のときボーイスカウトに入っていたが
そのスカーフに次のモットーが書かれていたのを覚えている。

「そなえよ、つねに」

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