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「ブラタモリ」→無意識の検閲→「空気読め!!」→軍国主義→保坂和志の使命



地震の前に録画してあった「ブラタモリ」
(3月10日放送)を見た。

世の中に街歩きの番組は多々あれど、
この番組は、
現在のちょっとした高低差や古地図をもとに、
過去へと錘鉛を降ろしていくところに特徴がある。
タモリの独特のゆるゆる感と
CGによる過去再現のアニメなど
新しい東京の歩き方を教えてくれる秀逸な番組である。 

例によって後で見るつもりで録画したのだが、
大震災ですっかり生放送の地震特番ばかり見ていたので、
しばらくは、見ずにいたのだった。

今回の特集は「東京タワー・芝」。
見ていて驚いたのは、
この番組がいかにも古く見えてしまうのである。

いや別に10年前の番組を今見ているとか、
そういうことではないんです。
わずか10日ほど前の番組です。

なのに、古い。
それはいったいなぜなのか?

理由ははっきりしていた。

3月11日、つまり東北関東大震災の前の番組だということなのだ。

最近、授業で僕は、
これから現代日本史は
「震災前」「震災後」という分け方がされるだろうと言っている。
「戦前」「戦後」という言い方と同じような
歴史の一大エポックとして
2011年3月11日は記憶されることになるだろう、
と言っている。

つまり、あの日を境に
ものの見え方というか
知覚の遠近法というか
価値観が決定的に変わってしまったのだ。

たとえば、「ブラタモリ」では
東海道本線が東京湾の海の中を通した
当時の難工事であることが紹介されている。
そして引き潮のときに工夫がレンガを積み、
満ち潮になれば引き上げるという様子が
CGで描かれている。
これは、もし震災後の放送であれば
ちょっとためらわれるきわどい映像である。
津波を想起させるからだ。

また高所恐怖症のタモリと、久保田アナが
地上170メートルで
東京タワーの外に出て命綱をつけて歩くシーンもある。
このロケ時にもしあの地震が起きていたらと思うと
身もすくむ。
現に東京タワーはてっぺんが傾いたのだから。
おそらく震災後であったら、
タモリは決してそんなロケは引き受けなかっただろう
(というか、周囲が気を回して
そのような危険な目にタモリを遭わせないように配慮したはずだ)。

上記のような検閲を
僕が自分に無意識のうちにかけてしまっているところが、
おそろしい。
「不謹慎なことは言わないようにしよう」
「できるだけ被災者の方を傷つけないようにしよう」
「買い占めなど、支援の足を引っ張らないようにしよう」
僕も、そして多くの人も
おそろしくそこに気を遣っているのだ。

「空気を読めない奴はけしからん」という
監視者の視点が僕にも内在化されてしまっているとは!
先に書いた知覚の遠近法や価値観が決定的に変わったというのは、
われわれを支配し検閲するこうした「空気」の出現という事態である。

言うまでもなく、そうした空気が
日本を強力にある方向へと導いた先例がかつてある。
戦前、戦中の軍国主義的イデオロギーである。

だから、こうした空気に違和感と抵抗する感覚を、
僕は大事にしたいし忘れてはいけないと思っている。

にもかかわらず、
僕の中にも検閲者の視点が内在化しているというのは、
やはりおそろしいことだ。

作家の保坂和志が新聞のコラム(3月16日 朝日新聞)で
地震の話題にふれた後、
「私は能天気で苦労知らずに生きることを使命とすら感じる」
と書いている。

まったく同感である。

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