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そもそも人生は「不要不急」

新型コロナ感染拡大を抑え込もうと緊急事態が宣言され

「不要不急の外出はひかえよ」

「接触は8割削減」

「STAY HOME」

などという掛け声が同調圧力となって日本列島を覆っている。

 

僕もまじめだから

必要のない外出、急ぎのない用事はしないよう心がけている。

一日中家で過ごすこともままある。

 

そんな状態が続くと

そもそも必要な外出とは何か?

急ぎの用事とは何か?

などということをに考えてしまう。

 

世間的には

娯楽・趣味・旅行・芸術・スポーツといったものはもとより、

仕事・出産・教育・散髪などもどうやら「不要不急」らしい。

 

では急ぎ必要な外出とは何かといえば、

何と言っても医療・介護であり

衣食住の生活インフラを支える仕事である。

感染の可能性に不安を抱えつつ

日夜そうした仕事に携わっている人々がいてこそ

僕たちの生活は成り立っているわけで

本当にありがたい。

欧米で広まっているように

鳴り物での感謝の意を表したいくらいだ。

 

さて、僕の仕事はといえば

こうなってみると基本「不要不急」である。

仕事にそれなりの使命感をもっていたつもりだが、

差し迫った危機的状況を前にすれば

延期してもいい仕事なのかもしれない。

 

一方で、

毎日のように新型コロナ関連のニュースにふれていると

自分の死というものを考えざるを得ない。

 

都道府県別の今日の感染者数と死亡者数を知ることが日課となり

慣れ親しんだ芸能人の死亡がトップニュースになったりすると

いつかは我が身かもしれない、という思いにとらわれる。

 

そうなると

「不要不急」だらけの

自分の人生にどんな意味や価値があるのか?

ということになる。

ハイデガーではないが

死への先駆的な投企である。

 

無論、答えはすでに出ていて

自分の人生ごときに意味や価値など最初からなかったのだという

根源的なニヒリズムを突きつけられる。

身も蓋もないわけだが、

それは悲観ではなく達観である(と思いたい)。

 

けれども、神なき時代

大きな物語が失墜した時代にあって

まさに死の可能性を間近に感じてみて

残された人生をどうまっとうするか?

ということを考えざるを得ない。

 

人生これ不要不急。

 

「ポスト・コロナ時代」とか

「withコロナの時代」などと

パラダイム・シフトが叫ばれているし

先読みの早い人はそこに向けて動いている。

途上国での感染症蔓延の悲惨や

世界の格差拡大、分断と摩擦など

非常に悲観的な未来世界を予想する論者も多い。

 

死と隣り合わせの軟禁状態のような生活だが、

不思議な晴れやかさと自由な感覚が開けてくるのもたしかなことである。

不要不急が人生だとすれば

自分の生き方を根本的に見つめ直してみるのも悪くない。

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